歳を取ると昔を懐かしむ事が多くなるよね。
と、ある程度の年齢になったときに目上の人から言われると思う。
そんな私自身も、最近ふとした拍子に過去の記憶を辿ることが増えてきている。
特に思い出すのが、中学の部活。吹奏楽部でほぼ3年間ユーフォニウムを担当していた。
公立のあまり大きくない学校だったのもあり、入学した頃は2、3年生の先輩があわせて15人もいなかったと思う。
小学校のクラブ活動でアルトサックスを吹いていたのと、姉が中学に在学していたのもあって、当時の顧問の先生には目をつけられていた。
その時は音楽が好きだったし、サックスも続けたかったのでそのまま流れるように入った。
顧問は当時新卒3年目の若い女性だったけど、先代顧問が更に上の姉曰く厳しい人だったらしく、部にはその厳しそうな空気がまだ残っていた。というよりは、一つ上の先輩が厳しかったのである。
入部したての時にまず担当する楽器を決めることになるが、楽器社の人が新入部員一人ひとりの口の形を見てどの楽器をやるのか判断していた。
(あ、自分で決めるわけじゃないんだ)
と思ったのは今でも忘れない。念のため言っておくが、個人でどれをやりたいとかの希望をとっていたと思うが、反映されている感じはしなかった。
それで自分が選ばれたのが「トロンボーン&ユーフォニウム」パートなのであった。当時、サックスを続けたいという希望が通らなかったことを気にいるはずもなかった。
それでも入部したからにはそれなりに頑張ろうなんて思っていた。
そのパートには一つ上の学年のトロンボーンを担当する先輩2名しかおらず、実際に私をメインで教えた先輩がかなり厳しい(というか言葉がめちゃくちゃキツイ)人だった。割と今でも彼女に対しトラウマに似たものは残っている。
小学校で自由に吹いて楽しんでいたはずなのに、中学に上がると基礎からやるよう言われ、腹式呼吸のやり方〜マウスピースだけで1ヶ月弱くらい過ごしたこともあった。音楽って楽しくないんだなと思ったことも。
そもそも金管楽器と言えばマウスピースの中で唇を震わせることで音を鳴らすもの。私はそれまで一度も震わせたことはなく、先輩がお手本を見せてくれてもやり方がよくわからなかったのである。結局出来なくていつも怒られていた。
自分がこんな状態なのだから同級生たちも苦しんでるのかな?と思っていたが、そんなこともなく。
とりあえずブルブルがそれっぽくなったということでようやくトロンボーンを触らせてもらったのだ。結果的にそれは1年の夏のコンクールくらいまでしか触らなかったけども。
コンクールでは「ココとソコしか吹くな」と言われたせいで全く楽しめなかった。入部して数ヶ月の人に全部吹けと言っても無理だと判断されていたのかもしれない。
コンクールは銅賞で終わった。
その後、私はユーフォニウムを担当するよう言われたのだった。
正しくは、コンクールと同時に市の中学校全体がワンチームになってマーチングコンテストをやることになっていて、その練習のときだけはユーフォを担当していたのだ。
コンクールの練習以外で、先輩も誰もユーフォをやっておらず他中の生徒と話しながらのびのびやれたことは楽しかった。
このときの結果は金賞だった気がする。
コンクール後は割と先輩が前より厳しくなくなっていた気がする。
3年生がほぼ引退していなかったのもあったせいか?張り詰めた空気が一気に消えたような…
次は秋冬のアンサンブルコンテストに出た。
金管8重奏というカテゴリで、一年生はユーフォの自分とトランペット2ndの2名が選ばれた。理由は簡単、人数がいないからだ。
この時の編成はトランペット2人、ホルン2人、トロンボーン2人、ユーフォ1人(自分)、チューバ1人である。
曲についてはいつか日記にして認めようと思っているので割愛するが、このときも金賞をもらった気がする。違ったらゴメンなさい。
3年生のホルンの先輩がめちゃ上手い人で、それが理由の金賞だった気もする。
その後は3月の定演になるが、またトロンボーンをやるように言われた。定演後はユーフォ固定になることも決まっていた。
2年に上がると後輩が入ってくる。人数が少ないこともあってユーフォは入ってこなかった。
この時の課題曲はユーフォソロがあったので、件の先輩は「なんでお前がやるんだ」と文句を言ってきた。自分は別の曲が良かったから言い返したが。
この年、顧問が異動になったので新しい顧問になった。
顧問が代われば必然的にコーチも代わる。新しいコーチはトロンボーンの奏者だった。
他の生徒が結構構ってちゃんがいたし、そもそもあまり好きになれないコーチだったのでほとんど関わらなかった。
というか、2〜3年の部活の記憶ってほとんど残ってない。件の先輩も後輩が入ってきてかかりっきりだったのもあって自分はポツンとしてることが多かった。楽器ごとでパートを組むから、この間ひとりぼっちのパートだったし辛かったのかも。腫れ物扱いされているのも個人的にはイラッとしていたときもあった。
それでも金管楽器という括りで同級生同士でつるんではいたが、同じところを吹くことの多いテナーサックスの同級生とは誕生日も一緒だったのもあって割と仲良かった気がする。
このときは楽器は好きだけどほんとに部活が楽しくなくて、秋冬は退部していた。
春になってコンクールが出たくなって中3の春休みに無理言って戻ったけども。
こうやって書くと自分のクズさが良くわかる。
中1の時が辛かったけど楽しかったんだなぁ。
のんびりでいいから、またユーフォ吹きたいな。
YouTubeでひとりトロンボーン4重奏の課題曲の動画を見てたら強く思ってしまった。
あの時、自分があの曲でトロンボーン2nd担当したから余計にね…思い入れ強かったんだって…
ホルンやってた同級生に話を聞いたらもう覚えてないって言われたのがショックだった。
叶わぬ願いだけど、またみんなでやりたかったなー。
雑だけどこんな中学生時代(部活編)でしたとさ。